劇団空ノ音 第4回本公演『テルミドール』
HISTORY
フランス革命を知る
1789年、フランス。
自由、平等、そして新しい時代を求めて始まった革命。
けれどそれは、初めから一つの目的に向かって進んだ出来事ではありませんでした。
理想を掲げる者。暮らしに苦しむ者。
王を守ろうとする者。王のいない国を望む者。
さまざまな思いが交錯しながら、革命は少しずつ姿を変えていきます。
ここから、その時代をたどります。
1789.05.05
三部会の開催
フランスは、行き詰まっていた。
度重なる戦争で財政は危機に陥り、ルイ16世は聖職者・貴族・平民の代表をヴェルサイユへ招集します。
1614年以来、およそ175年ぶりの三部会。しかし人口の大多数を占める第三身分は、従来の仕組みに不満を募らせていました。
財政を立て直すための会議は、やがて「誰がこの国を動かすのか」を問う場へと変わっていきます。
その第三身分の代表の中に、アラス出身の30歳の弁護士、マクシミリアン・ロベスピエールもいました。まだ、数多くいる議員の一人です。
声を上げた人々は、もう元には戻れなかった。
1789.07.14
バスティーユ襲撃
議論は、街へ飛び火した。
政治の緊張が高まる一方、パリでは食料不足と物価高騰が人々を苦しめていました。さらに、国王が軍隊をパリ周辺へ集めているという不安も広がります。
7月14日。武器を手にした民衆は火薬を求め、バスティーユ牢獄へ押し寄せます。激しい戦闘の末、要塞は陥落しました。
その時、牢獄に収容されていた囚人はわずかでした。それでもバスティーユは、人々にとって王の強大な権力を象徴する場所でした。
革命は、会議場の中だけのものではなくなった。
1789.08.26
人権宣言
革命は、理想を言葉にした。
バスティーユ襲撃から、およそ一か月。国民議会は「人間と市民の権利の宣言」を採択します。
人は自由であり、権利において平等であること。政治の力は国民に由来すること。そして自由や財産、言論など、人間が持つ権利を国家が尊重すべきであること。
身分によって生き方が大きく左右されてきた時代に、まったく新しい社会の原則が示されました。
自由。平等。
しかし――理想を掲げても、人々の暮らしがすぐに変わるわけではありませんでした。
1789.10.05–06
ヴェルサイユ行進
理想は宣言された。
それでも、パンは足りなかった。
パリでは食料不足が続き、とりわけ生活に欠かせないパンの不足と価格高騰が人々を苦しめていました。
10月5日。市場で働く女性たちを中心とした群衆が、雨の中、ヴェルサイユへ向けて歩き始めます。求めたのはパン。そして、国王が民衆の苦しみに向き合うことでした。
翌日、ルイ16世とマリー・アントワネット、その家族はヴェルサイユを離れ、パリへ移されます。
華やかな宮殿を離れ、国王一家は革命の真っ只中へ。
革命は、王宮の門を越えた。
1791.06.20–21
ヴァレンヌ逃亡事件
そして、国王はパリを離れた。
革命が始まってから、およそ二年。ルイ16世は新しい政治体制の中で王位を保っていました。
しかし1791年6月、王妃マリー・アントワネットや子どもたちとともに、密かにパリを脱出します。馬車は東へ。王一家は国境を目指しました。
逃亡はヴァレンヌで失敗し、人々の監視の中で再びパリへ連れ戻されます。革命とともに歩むはずの国王が、その革命から逃げようとした。その事実は、人々の中に大きな疑問を残しました。
この王を、まだ信じることができるのか。
1792
WAR
革命の外にも、敵がいた。
革命によって国王の立場が揺らぐ中、フランスとヨーロッパの君主国との緊張も高まっていきます。
1792年4月、フランスはオーストリアへ宣戦布告。戦争を支持する声が強まる中、ロベスピエールは開戦に反対していました。
彼が恐れたのは、戦争によって軍人や権力者の力が強まり、結果として革命の自由そのものが失われることでした。
しかし、戦争は始まった。
そして戦況が悪化すると、人々の疑念は再び国王へ向かいます。
『Bataille de Valmy』 Musée Carnavalet / Paris Musées, CC0
1792.08.10
テュイルリー宮殿襲撃
革命は、ついに王の住まいへ。
戦争の開始後、フランス軍は苦戦を重ねます。そしてパリでは、「国王は外国と通じ、革命を終わらせようとしているのではないか」という疑いが急速に強まっていきました。
1792年8月10日。武装した民衆と義勇兵が、国王一家の暮らすテュイルリー宮殿へ押し寄せます。宮殿を守る兵士との激しい戦闘の末、宮殿は制圧されました。
国王一家は議会へ逃れ、ルイ16世の王権は事実上停止します。
1789年、民衆はバスティーユを落とした。
それから三年。
革命はついに、王そのものへと辿り着いた。
1792.09.21
王政廃止
王のいないフランスへ。
テュイルリー宮殿襲撃から、わずか一か月余り。新たに選ばれた国民公会は、王政の廃止を決定します。
何世紀にもわたって続いてきたフランス王政は終わりました。国王を頂点とする国から、国民による「共和国」へ。
国民公会ではさまざまな政治勢力が激しく対立します。その中でロベスピエール、ダントン、マラー、そして若きサン=ジュストらの名も大きくなっていきます。
三年前、アラスからやってきた一人の若い弁護士だったロベスピエールは、今や革命を代表する政治家の一人になっていました。
1792
パリでは革命の炎が燃え盛る。
その中心へ向かって進む兄ロベスピエールを追うように、
弟 オーギュスタンもまた、
革命の中へ歩み始める。
1793.01
国王裁判
王政はなくなった。
しかし、王だった男はまだ生きていた。
王位を失ったルイ16世は、国民公会によって裁かれることになります。革命に敵対したのか。外国と通じていたのか。そして、国王だった人間を新しい共和国はどう扱うべきなのか。
議場では激しい議論が続きました。そこにはロベスピエールもいました。
かつて死刑そのものに反対する立場を示していた彼は、国王については異なる判断を示します。ルイ16世を一人の被告としてではなく、共和国を守るために排除すべき存在だと主張しました。
そして国民公会は、死刑を決定します。
1793.01.21
ルイ16世処刑
革命は、王を裁いた。
かつてフランス国王だったルイ16世は、革命広場へ向かいます。
そこに待っていたのは、ギロチン。
多くの市民が見守る中、刑は執行されました。
王政をなくした革命は、ついに――
その王の命までも奪った。
1793
REVOLUTIONARY GOVERNMENT
革命は、さらに深く。
国外では戦争。国内では反乱。
革命を守るためには何が必要なのか。自由を守るために、どこまで強い力を使うことが許されるのか。
革命を始めた時には想像もできなかった問いが、人々の前に次々と現れていきます。
『Bataille de Valmy』 Musée Carnavalet / Paris Musées, CC0
1793.10.16
マリー・アントワネット処刑
そして、王妃も。
ルイ16世の処刑から、およそ九か月。かつてヴェルサイユ宮殿で暮らしたマリー・アントワネットもまた、革命政府による裁判を受けます。
もう、フランス王妃ではありません。一人の被告人として。
彼女は荷車に乗せられ、パリの街を通って革命広場へ向かいました。その姿を、画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いたとされる素描が現在まで残っています。
そして、刑は執行されました。
王も。
王妃も。
もう、いない。
王も、王妃も、もういない。
それでも、人々が求めた「自由」と「平等」は、
まだその形を得てはいませんでした。
革命は、理想と現実の間で、
さらに激しく揺れ動いていきます。
そして、その渦中にロベスピエール兄弟もいました。